〔作曲家について〕
ヨハン・ネポムク・フンメル(Johann Nepomuk Hummel, 1778年11月14日 ポジョニ - 1837年10月17日 ヴァイマル)はハンガリー(現在はスロヴァキアの領地)出身のオーストリア系作曲家、ピアニスト[1]。
[1]引用サイト:
https://ja.wikipedia.org/wiki/Johann_Nepomuk_hummel
フンメルは1778年11月14日に生まれ、1837年10月17日に亡くなったオーストリアの作曲家、ピアニストです。
1786年にフンメルの父がシカネーダー*の劇場の楽長になる。そのことがチャンスとなりモーツァルトに師事することができ、モーツァルトもフンメルの才能に興味をもち2年間教えた。
1778年から93年にかけて、フンメルは父親とともにデンマークやイギリスで演奏旅行をし、一流のピアニストととして活躍した。
その後、サリエリやハイドンに学ぶ。
1804年から11年までエスターハージ候(エステルハージ侯爵のこと?)の楽長の地位についた。
1812年フンメルはウィーンに行き、音楽教師と作曲家として活躍した[1]。
ピアニストとしてのフンメルはべートーヴェンと共にウィーンを代表するピアニストといわれた[2]。ピアノ教育者としては「ピアノ奏法」という本を書き、メンデルスゾーンらにもピアノを教えた[2]。
1816年にはシュトゥットガルト*の楽長を務めた[1]。
〔Works〕
ピアノ協奏曲第3番
ピアノ協奏曲第4番
ピアノ協奏曲第6番
が有名。
[著書]
『ピアノ奏法』*下記の国立国会図書館の図書情報をsee
『ピアノ教則本』(運指法のためのメトードとして有名)
300曲以上あるフンメルの曲は、
19世紀の作曲家に影響を与えた[2]。
* エマーヌエル・シカネーダー(Emanuel Schikaneder [ʃikaˈneːdɐ][1], 1751年9月1日 - 1812年9月21日)は、オーストリア、ドイツで活躍した俳優にして劇場支配人、台本作家である。
(ja wikipedia「エマーヌエル・シカネーダー」より引用)
*シュトゥットガルト
シュヴァーベン語: Schduegerd、元々は "Gestüt"(馬の飼育場)を意味する[3])は、ドイツ連邦共和国・バーデン=ヴュルテンベルク州の州都で、人口632,865人(2022年12月31日現在)を擁する同州最大の都市である。
(ja wikipedia「シュトゥットガルト」より )
[1]『ピアノ・コンサート Vol.7』
TBSサービス, 1980. 34頁
[2]ヤマハ音楽振興会編著『ヤマハピアノ教室 ピアノスタディ 6』ヤマハ音楽振興会, 1996, 29頁
[楽譜画像]
ヤマハピアノ教室
ピアノスタディ 6
著者 ヤマハ音楽振興会 編著
出版者 ヤマハ音楽振興会
出版年 1996.12.10 (初版)
大きさ、ページ 31cm, 71p
NDC -
https://www.instagram.com/p/C6fiCbqS4Xy/?igsh=MWdrejg5cTFobnVyaA==
〔参考文献〕
フンメルのピアノ奏法 : クラシックからロマン派へ
著者 ヨハン・ネーポムク・フンメル 著ほか
出版者 シンフォニア
出版年 1998.8
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010030671
〔YouTube〕
フンメル : かわいいワルツ ト長調 / エコセーズ ハ長調 / 小さなロンド ハ長調
浅田美鈴 ASADA Misuzu, Piano
https://youtu.be/-FfgdgOXu2w?feature=shared
ビデオ録画日:2024.08.16 (金)