Béla Viktor János Bartók
(1881-1945)
の弦楽四重奏曲第4番ハ長調は、1928年7月から9月にかけてブダペストで作曲された 。バルトークの 6つの弦楽四重奏曲のうちの1つである。
この作品はプロ・アルテ四重奏団
に捧げられたが、初演は1929年3月20日にブダペストでヴァルトバウアー=ケルペリー四重奏団によって行われた。同年にユニバーサル・エディション から初めて出版された。
概要
この作品は5つの楽章から構成されています。
Ⅰ. Allegro
アレグロ
Ⅱ.Prestissimo, con sordino
プレスティッシモ、コンソルディーノ
Ⅲ. Non troppo lento
ノントロッポレント
Ⅳ. Allegretto pizzicato
アレグレット・ピチカート
Ⅴ. Allegro molto
アレグロ・モルト
ラースロー・ショムファイ*が出版した原稿資料の研究によると、バルトークは当初この四重奏曲を5楽章ではなく4楽章にするつもりだったことが判明した[1]。
[1]https://en.wikipedia.org/wiki/String_Quartet_No._4_(Bart%C3%B3k)
〔参考文献〕
*ショムファイ・ラースローによるバルトーク作品の研究
(バルトークの現在(いま)<特集>)
請求記号(国立国会図書館)
Z11-208
国立国会図書館の書誌ID
3588378
材質タイプ
記事
著者 伊東 信宏
出版社 東京 : 音楽之友社
発行日 1994-11 https://ndlsearch.ndl.go.jp/en/books/R000000004-I3588378
〔YouTube〕
Bartók: String Quartet No. 4, JuilliardSQ (1963)
Deucalion Project channel
https://youtu.be/KtBZfasVJDo?feature=shared
オーストリア=ハンガリー二重帝国
https://de.wikipedia.org/wiki/%C3%96sterreichisch-Ungarischer_Ausgleich
https://de.wikipedia.org/wiki/%C3%96sterreich-Ungarn
👩バルトークが1918年,37歳まで、ハンガリーはハプスブルク家の支配下にあったようです。
1905年バルトークが24歳の時、コダーイ・ゾルターンと共にハンガリーの農民の民謡を採集をはじめます。それまでにバルトークは
ハンガリー独自の国民性や文化に目醒め、家ではハンガリー語で話たりしていたようです。(大阪大学大学院:伊東信宏教授音楽学授業より) この弦楽四重奏曲のⅣとⅤでは、そういう抑圧された方々の怒りや声にならない叫びが表現されているように思いました。
(浅田ピアノ教室 浅田美鈴)
https://www.youtube.com/@ASADAMisuzu
[楽譜画像]
ヤマハピアノ教室
ピアノスタディ 7
著者 ヤマハ音楽振興会 編著
出版者 ヤマハ音楽振興会
出版年 1996.12.10 (初版)
大きさ、ページ 31cm, 71p
NDC -
https://www.instagram.com/p/C6lWHZSSRUH/?igsh=MWlhcHpwY2IwZ2U2bw==