Wolfgang Amadeus Mozart [墺]1756-1791
モーツァルト[*1]は13歳 (1769)のときにイタリア[*2]旅行をして15歳 (1771) で帰国するまで各所で天才ぶりを評価された[1][2]。
それにもかかわらず帰国後の20歳 (1776)の頃[1]、ザルツブルク[*3]の領主である大司教コロレード伯爵[*4]から冷遇され、活動まで制限されるようになったので[2]、その後21歳のモーツァルトは、新しい仕事を求めてドイツのマンハイム[*5]とフランスのパリ[*6]、そして再びドイツのミュンヘン[*7]へと旅行した[1][2]。
ところがマンハイムでも、かつて神童ともてはやしてくれたパリでもモーツァルトに相応しい仕事は見つからなかった[2]。その上、パリ滞在中にモーツァルトの母親アンナ・マリア[*8]が突然原因不明の病気で客死した(享年58歳)[*8][1][2]。1777年21歳のはじめに求職旅行からザルツブルクに戻ったが、1781年 (25歳)5月に宮廷楽長の仕事を辞職し、ウィーンで大司教と完全に決裂した。モーツァルトはハプスブルク帝国の帝都でフリーランスの音楽家として活動を開始し、ウィーンに住みつくこととなった[1][2][3]。
〔参考WEBサイト〕
[*1]https://en.wikipedia.org/wiki/Wolfgang_Amadeus_Mozart
[*2]https://en.wikipedia.org/wiki/Italy
[*3]https://en.wikipedia.org/wiki/Salzburg
[*4]https://en.wikipedia.org/wiki/Hieronymus_von_Colloredo
[*5]https://en.wikipedia.org/wiki/Mannheim
[*6]https://en.wikipedia.org/wiki/Paris
[*7]https://en.wikipedia.org/wiki/Munich
[*8]https://en.wikipedia.org/wiki/Anna_Maria_Mozart
〔参考文献〕
[1] ヤマハ音楽振興会 編著『ヤマハピアノ教室 ピアノスタディ 7』ヤマハ音楽振興会, 1996, 32頁
[2]門馬直美『西洋音楽史概説』春秋社, 1976, PP147-148
[3] 渡辺和彦 監修『検索キーワード付 クラシック作曲家事典』学習研究社, 2007, 259頁
[楽譜画像]
ヤマハピアノ教室
ピアノスタディ 7
著者 ヤマハ音楽振興会 編著
出版者 ヤマハ音楽振興会
出版年 1996.12.10 (初版)
大きさ、ページ 31cm, 71p
NDC -
https://www.instagram.com/p/C6lWHZSSRUH/?igsh=MWlhcHpwY2IwZ2U2bw==
〔YouTube〕
探しましたけど途中でCMが入ったりでいいのがありませんでした。
モーツァルト弾きのおすすめのピアニストは日本人でしたら「内田光子」さんです。このピアニストの演奏は小学校三年生の時に家族全員でコンサートホールで聴きました。あまりにも上手だったので、家族全員驚嘆しました。
Mitsuko Uchida
https://en.wikipedia.org/wiki/Mitsuko_Uchida
🍀 🍀 🍀 🍀 🍀
🎹ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのピアノソナタ第8番イ短調K.310 / 300dは、 1778年に作曲されました。このソナタは、短調のモーツァルトのピアノソナタ2曲のうちの最初のものです(もう1曲は第14番ハ短調K.457です)。このソナタは、彼の生涯で最も悲劇的な時期の1つであった母親の死の前後の1778年の夏に作曲されました[*9]。
[*9]https://en.wikipedia.org/wiki/Piano_Sonata_No._8_(Mozart)
詳細情報 オーストリア、ザルツブルク市の北東から見たホーエンザルツブルク城塞。 アンドレアス・スティアスニー en.wikipedia.org |
(浅田ピアノ教室 浅田美鈴)