Wolfgang Amadeus Mozart [墺]1756-1791
モーツァルト[*1]は1781年25歳の頃、フリーランスの音楽家作曲家として大変人気があった。
貴族の邸で自作自演のピアノ演奏等を行っていた。
モーツァルトとクレメンティとのピアノの競演についても記載されていた[1]。
競演相手のクレメンティ(Muzio Clementi [*2]1752-1832 イタリア→イギリス)は[2]、1766年にイギリスに移住し、毎日8時間、チェンバロの練習をし技巧と演奏力の磨きをかけていた。1779-80年の間は、ロンドン王立劇場のハープシコード[*3](チェンバロ)奏者・指揮者として活躍していた。当時の指揮はピアノを弾きながら行われていた[3]。81年のウィーン訪問時にヨーゼフ2世[*4]の御前で行われたモーツァルトとの弾き競べは逸話として残っている[2]。
モーツァルトとの競演は、1781年12月24日に宮廷でおこなわれた。
皇帝ヨーゼフ二世は2人にひとつの主題をあたえた。モーツァルトはアダージョを一曲、クレメンティはソナタ一曲とトッカータを弾いた。モーツァルトはクレメンティの演奏に酷評をしたが[3]、クレメンティは、モーツァルトの洗練されたウィーン式フォルテピアノの演奏に感銘を受け[2]、自己の奏法の改良に努めた[3]。
81年のモーツァルトとクレメンティのウィーンの宮廷での弾き競べは、シュタイン[*5]のピアノで行われた[2]。
〔参考文献〕
[1] ヤマハ音楽振興会 編著『ヤマハピアノ教室 ピアノスタディ 7』ヤマハ音楽振興会, 1996, 32頁
[2]小倉貴久子『カラー図解 ピアノの歴史』河出書房新社, 2009, 29頁, 76頁
[3]大宮眞琴『新版 ピアノの歴史 楽器の変遷と音楽家の話』音楽之友社, 2009, PP65-66
[4] 渡辺和彦 監修『検索キーワード付 クラシック作曲家事典』学習研究社, 2007, 260頁
〔参考WEBサイト〕
[*1]https://en.wikipedia.org/wiki/Wolfgang_Amadeus_Mozart
[*2]https://en.wikipedia.org/wiki/Muzio_Clementi
[*3]https://en.wikipedia.org/wiki/Harpsichord
[*4]https://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_II,_Holy_Roman_Emperor
[*5]https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Andreas_Stein
説明 フランセ:ヨハン・アンドレアス・シュタインの ピアノフォルテ (アウグスブルク、1775年) ベルリン、楽器博物館 日付 2010年5月28日 ソース 自分の作品 著者 ジェラール・ジャノ https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Andreas_Stein |
[楽譜画像]
ヤマハピアノ教室
ピアノスタディ 7
著者 ヤマハ音楽振興会 編著
出版者 ヤマハ音楽振興会
出版年 1996.12.10 (初版)
大きさ、ページ 31cm, 71p
NDC -
https://www.instagram.com/p/C6lWHZSSRUH/?igsh=MWlhcHpwY2IwZ2U2bw==
▶ 1781年から1783年にかけて作曲したとされる ピアノ・ソナタ イ長調 No.11 K.331《トルコ行進曲付き》[3][4]
https://en.wikipedia.org/wiki/Piano_Sonata_No._11_(Mozart)
こちらに音源♫もあります。
楽曲の簡単な分析もなされています。
🎹 ピアノ学習者の殆どの方々が、一度は弾いてみたいと思う人気のソナタです。
(浅田ピアノ教室 浅田美鈴)
https://www.youtube.com/@ASADAMisuzu