作曲家のはなし 1 モーツァルト その2 Y.P ピアノスタディ 7 P32 1st paragraph 1st to 3rd lines

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

Wolfgang Amadeus Mozart

1756.1.27 (ザルツブルク)〜1791.12.5 (ウィーン)

クローチェによるモーツァルト家の肖像画から
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
詳細
ヨハン・ネポムク・デラ・クローチェ
 http://stafford-choral.org.uk/newsandevents/mozarts-portrait-from-mozart-family-portrait-Painted-by-johann-nepomuk-della-croce-salzburg-1790-1791/
en.wikipedia.orgより


1st paragraph 1st to 3rd lines

モーツァルトがイタリア旅行を

終えた後のことを記載[1]。

イタリア旅行は1769年から73年にかけて3回している[2]。

1769年はモーツァルトが13歳の時である。73年はモーツァルトが17歳の時である。その次に「故郷のザルツブルクで宮廷音楽家の仕事をした[1]」とある。

モーツァルトが宮廷楽師長を務めたのは1772年以降である。

「その仕事に不満を持ち[1]」とあるが、しばらくは続けていたようである。その時の司祭は『大司教コロレード伯爵[2]』とある。


1769年モーツァルトが13歳の時の作品です。まさに神童です。(浅田)


【教会音楽】

テ・デウム ハ長調 1769(13歳)

歌詞の中で「Sanctus」とよく聴こえてきます。

「次の不変の 5 つのセクションが含まれていなければなりません。これらが一緒になってミサの通常文を構成します 。


キリエ(「主よ慈悲を」)

グロリア(「高き神に栄光あれ」)

クレド(「私は唯一の神を信じる」)、ニカイア信条

サンクトゥス(聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな)の2番目の部分は、「ベネディクトゥス(祝福された方)」という言葉で始まり、聖別が長い場合には奉献の後に別々に歌われることが多かった。(その言葉で始まる他の聖歌についてはベネディクトゥスを参照。)

アグヌス・デイ(「神の子羊」)

このミサの通常文の設定は、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど、標準的な演奏会レパートリーの多くの有名な作曲家が貢献したミサ曲作曲の伝統を生み出しました。」[3]

[3]https://en.wikipedia.org/wiki/Church_music

〈サンクトゥス〉(聖なるかな)[4]

〔参考WEBサイト〕

https://en.wikipedia.org/wiki/Wolfgang_Amadeus_Mozart


〔YouTube〕

Wolfgang Amadeus Mozart - Te Deum, K14 / 66b

SP's score videos channel 

https://youtu.be/0zqs-lRQNdc?feature=shared



[楽譜画像]

ヤマハピアノ教室

ピアノスタディ 7


著者 ヤマハ音楽振興会 編著

出版者 ヤマハ音楽振興会

出版年 1996.12.10 (初版)

大きさ、ページ 31cm, 71p

NDC -

https://www.instagram.com/p/C6lWHZSSRUH/?igsh=MWlhcHpwY2IwZ2U2bw==


〔参考文献〕

[1] ヤマハ音楽振興会 編著『ヤマハピアノ教室 ピアノスタディ 7』ヤマハ音楽振興会, 1996, 32頁

[2] 渡辺和彦 監修『検索キーワード付 クラシック作曲家事典』学習研究社, 2007, 259頁

[4] 吉田秀和『モーツァルト』講談社, 1990, 19頁