作曲家のはなし 1 モーツァルト その2 Y.P ピアノスタディ7 P32 4th paragraph 3rd to 4th lines Leopold Mozart〔4;手紙を通じてみるモーツァルト ー父レオポルトの病と死ー (1787年5月28日にレオポルトは逝去した) 〕

Johann Georg Leopold Mozart

[墺]1719-1787

Wolfgang Amadeus Mozart

[墺]1756-1791


本書32頁の「お父さんのレオポルト・モーツァルトが亡くなるという≫続く」[1]


〔参考WEBサイト1〕

https://en.wikipedia.org/wiki/Leopold_Mozart

https://en.wikipedia.org/wiki/Wolfgang_Amadeus_Mozart


🔹父レオポルトの死から不安の数十日間にモーツァルトが作曲した曲の内の一曲


Mozart - K.517 歌「Die Alte」(断片)『老婆』 1787年5月18日 31歳 ウィーン

Daniel Buyanosky channel

https://youtu.be/KZqMAC5FBp4?feature=shared



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小林秀雄のエッセー『モオツアルト』からの父の病が重篤なのをきいて、ヴォルフガングが父宛に出した手紙の引用より

「ヴィーン 一七八七年四月四日

・・・・・・最近のお手紙で大変よくおなりだと伺っていただけに、今ひどく落胆するような報せをうけました。

あなたが本当にご病気なんですって! 何とか安心できるようなご自筆 の手紙を、どんなに僕がほしがっているか、申しあげるまでもありません。僕は、いつ も、万事を最悪なふうに想定する習慣を作ってしまいましたが、それでもどうかしてお元 気なお手紙を拝見したいと思っています。死は――厳密にいえば――僕らの生の本当の最 終目標ですから、僕はこの数年来、この人間の最上の友人と大変仲良しになってしまった ので、死の姿をみても少しも恐ろしいと思わないどころか、むしろ大いに心を安め慰めて くれるものと考えています。こうして、僕は死がわれわれの真の幸福への鍵であることを 知る機会――おわかりですね――を考えてくださったことで、神様に感謝しています。僕 はいつも、ベッドにつくごとに、ひょっとすると明日はもういなくなっているかもしれな い。だが、僕を知っているものは、誰だって、僕が交際のおり不機嫌だったり憂鬱だった りしていたことはない、といってくれるだろうと考えないことはありません。そうして、(中略)

、僕は人間に可能な 限りで大至急、あなたの腕に抱かれに参ります。われわれにとって神聖なすべてのものの名において誓います・・・・・・」

父親は翌月の二十八日に死んだのですが、この手紙の中の「死が真の幸福への鍵であるこ とを知る機会」といわれている個所は、父親といっしょに入っていた、当時流行の秘密結社 的宗教団体フリーメーソンの教義と関係しているといわれています。

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幼い我が子の才能に歓喜を感じて以来、驚異と尊敬をもって、その急な発達を綿密に指導してきたレオポルトの生涯は、自己犠牲と前途の憂慮の連続だった。

宗教的といってよいような信念に支えられた彼は、この幼児の完全な成育を自己の神聖な使命と確信していた。

ところが今、息子の窮迫を思うとき、音楽史上最も完全な天才児に教育したばかりに、結局は年齢に遥かに先んじた不幸な人間を作り上げてしまったのではなかろうか。息子のあらゆる成功は同僚の音楽家たちの 嫉妬と悪意と好策と迫害の前に押し潰されてゆく。そのうえこの頃ではもう彼の最大の宝は精神的にも肉体的にも遥かに遠い国に住んでいる。時流を抜く息子の作品の高さは朧(おぼろ)げに理 解できても、そのために彼の払う精神の独立から発するさまざまの行動は、軽率で不注意で、自ら困難を招き、敵を作っているように思われてならぬ。父親の淋しさ、落胆は比べるもののないほどだったろう。少年時までは彼の額には稀有な成功と幸福の星が輝き渡っていたので、彼はその生涯の物語を書き残す気で、手紙や記録の類は注意深く保存していた。

しかし、しだいに失望は冷笑に変じ、あまりにも不愉快なコレクションになる兆しが感じられ てきたので、彼はこの蒐集も放棄してしまった。一度なぞヴォルフガングが窮境を脱する ために、招きに応じてロンドン訪問を決行しようとして、子供たちを預かるよう依頼してきた時は、にべなく断わってしまったくらいだ。

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父の病篤しと聞き、ヴォルフガングは早速見舞いの手紙を書く。要旨は次の如くだ。 

「前便では父上はお元気だときいていましたが、今は御病気の報に接しました。私がどんなに心を慰めるお知らせを待ち焦がれているか (中略)

本当の真実を書くか、誰かに書かせて下さい。そうすれば僕は、人間にでき りの速さで、あなたの胸に抱かれに参ります………………」

(一七八七年四月四日)。

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レオポルトは五月二十八日に六十八歳で、息子を再び見ることなく静かに死んだ。この父の死が当時の彼に与えた精神的打撃は、その作曲に反映している。おそらくここではじめて外 の出来事に彼の作品が反響しだしたのではなかろうか。ついに《死》が暗い物影から忍び 彼の身辺にただならぬ気配を漂わせはじめたと同時に≫続く [2]


🔹この不安の数十日間にモーツァルトが作曲した曲


K.515 弦楽5重奏曲第三番 ハ長調 1787年4月19日 31歳 ウィーン

K.516 弦楽5重奏曲第四番 ト短調 1787年5月16日 31歳 ウィーン

K.517 歌「Die Alte」(断片)『老婆』 1787年5月18日 31歳 ウィーン

K.518 歌「Die Verschweigung」(断片) 1787年5月20日 31歳ウィーン

K.519 歌「Das Lied der Trennung」『隠蔽 (別離)』 1787年5月23日 31歳 ウィーン

K.520 歌「Als Luise die Briefe ihres ungettreuen Liebhabers verbrannte」 1787年5月25日 31歳 ウィーン


〔参考文献〕

[1] ヤマハ音楽振興会 編著『ヤマハピアノ教室 ピアノスタディ 7』ヤマハ音楽振興会, 1996, 32頁

[2]吉田秀和『モーツァルト』講談社, 1990, 189, 190, 235, 236, 237頁


〔参考WEBサイト2〕

https://en.wikipedia.org/wiki/K%C3%B6chel_catalogue


[楽譜画像]


ヤマハピアノ教室

ピアノスタディ 7


著者 ヤマハ音楽振興会 編著

出版者 ヤマハ音楽振興会

出版年 1996.12.10 (初版)

大きさ、ページ 31cm, 71p

NDC -

https://www.instagram.com/p/C6lWHZSSRUH/?igsh=MWlhcHpwY2IwZ2U2bw==


(浅田ピアノ教室 浅田美鈴)

https://www.youtube.com/@ASADAMisuzu