5-1. ケーテンで6年間を過ごしたバッハは、ライプツィヒの聖トーマス教会へ移ります [1]。
J・S・バッハ年譜
(尾山真弓編)より[2]
5-2. 1722
(37歳)
『アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳』第一巻(記入開始)
J・S・バッハ 作品表 [2]
については
5-3.で記入したいと思います。
Notebook for Anna Magdalena Bach
https://en.wikipedia.org/wiki/Notebook_for_Anna_Magdalena_Bach
タイトルの『アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳』(ドイツ語:Notenbüchlein für Anna Magdalena Bach )は、ドイツのバロック音楽作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハが2番目の妻アンナ・マグダレーナに贈った2冊の手書きの音楽帳のうちのどちらかを指しています。どちらの音楽帳も鍵盤楽器用の楽曲(メヌエット、ロンドー、ポロネーズ、コラール、ソナタ、プレリュード、ミュゼット、行進曲、ガヴォット)が大部分を占め、声楽用の楽曲(歌曲、アリア) もいくつか含まれています。
⬜️ 1722 年のノート: フランスの組曲と雑集
【画像の説明】
アンナ・マグダレーナ・バッハのノートの表紙
バッハの息子の総合資料集 (BGA)、第 44 巻 [BW XLIV] より抜粋: 「Joh. Seb. Bach の手書き原稿」(Joh.Seb. Bach の原稿)。1895 年にライプツィヒのバッハ協会によって最初に出版されました。この画像はパブリック ドメインです。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Anna-magdalena-bach-noteboo.jpg
🟨 1725年のノート
【画像の説明】
アンナ・マグダレーナ・バッハの2冊目のノートの表紙。
バッハ全集(BGA)第44巻[BW XLIV]「ヨハン・ゼプ・バッハの手書き原稿」(ヨハン・ゼプ・バッハの原稿)より抜粋。1895年にライプツィヒのバッハ協会によって最初に出版されました。この画像はパブリック ドメインです。
ソース ja.wikipedia.org
著者 JSバッハ
許可 (このファイルの再利用)
パブリックドメイン
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Anna_Magdalena_Bach%27s_Notebook_1725.jpg
⬜️ 私が所有する
音楽之友社の
J.S. BACH
Die Klavierbüchlein für Anna Magdalena Bach
urtext
バッハ アンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア小曲集
原典版/改訂版
H. TAMURA
田村宏一編
世界で使われる
音楽之友社
標準ピアノ楽譜
ONGAKU NO TOMO EDITION
https://www.instagram.com/p/DEyvpNEPI2h/?igsh=MTZ5ajRzNXNmNW8yOQ==
〔参考WEBサイト〕
Johann Sebastian Bach
https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Sebastian_Bach
〔参考文献〕
[1]ヤマハ音楽振興会 編著『ヤマハピアノ教室 ピアノスタディ 7』ヤマハ音楽振興会, 1996, 34頁
[2]樋口隆一『バッハ➖️カラー版作曲家の生涯➖️』新潮社, 1987
[楽譜画像]
ヤマハピアノ教室
ピアノスタディ 7
著者 ヤマハ音楽振興会 編著
出版者 ヤマハ音楽振興会
出版年 1996.12.10 (初版)
大きさ、ページ 31cm, 71p
NDC -
https://www.instagram.com/p/C6lWHZSSRUH/?igsh=MWlhcHpwY2IwZ2U2bw==
(浅田ピアノ教室 浅田美鈴)