🎹 作曲家のはなし 2 バッハ その1 Y.P ピアノスタディ7 P34〔9-2. J.S.バッハ 1727年 (42歳)〕

5-1. ケーテンで6年間を過ごしたバッハは、ライプツィヒの聖トーマス教会へ移ります [1]。

6. 1724年 (39歳) 6-1〜6-4まで

7. 1725年 (40歳) 7-1〜7-6まで

8. 1726年 (41歳)

9. 1727年 (42歳)『マタイ受難曲』尾山

10.1728年 (43歳)

11.1729年 (44歳)『マタイ受難曲』ヤマハ


5-1から5-10までがライプツィヒの聖トーマス教会に関連する事項で

ヤマハのスタディ7では1729年(44歳)が『マタイ受難曲』の作曲年[1]と記載されていますが、樋口隆一著『バッハ』内のJ・S・バッハ年譜(尾山真弓編)では1727年(42歳)に『マタイ受難曲』を初演?と記載されていることであるが当ブログでは、1724年(39歳)を6、1725年(40歳)を7、1726年(41歳)を8、1727年(42歳)を9、1728年(43歳)を10、1729年(44歳)を11とします。

*Netherlands Bach Society の 

St John Passion の YouTubeは

1725 versionとなっていました。


J・S・バッハ年譜

(尾山真弓編)より[2]


9-2. 1727

        (42歳)


4月 『マタイ受難曲』BWV 244が初演された。


BWV 244 マタイ受難曲 (1727?= 初稿、1736頃 = 浄書総譜)


マタイ受難曲(ドイツ語:Matthäuspassion

マタイ受難曲は、バッハの受難曲2曲のうち2番目で、完全な形で現存しています。最初の曲は、1724年に初演された ヨハネ受難曲です。


バージョンと同時期の公演

マタイ受難曲の創作過程については確かなことはほとんどわかっていません。入手可能な情報は、現存する初期の原稿、台本の同時代の出版物、およびライプツィヒ市議会が保管する文書などの状況データから得られます。


マタイ受難曲は、おそらく1727年4月11日(聖金曜日)に聖トーマス教会で初演され、その後1729年4月15日、1736年3月30日、1742年3月23日にも再演されました。その後、バッハは1743年から1746年の間に再度改訂しました。


1975年以来、バッハの「マタイ受難曲」は1727年4月11日の聖金曜日に初演されたと一般的に考えられてきたが、より古い資料によると、初演は1729年の聖金曜日まで遅れていた可能性がある。演奏はライプツィヒの聖トーマス教会で行われた。バッハは1723年以来、トーマスカントル(教会の音楽を担当するカンター)を務めていた。

*これで尾山真弓編のバッハの年譜とヤマハのピアノスタディ7, 34頁の情報が違うという点が解明されました。(浅田美鈴)

https://en.wikipedia.org/wiki/St_Matthew_Passion


【画像の説明1】

ドイツ語:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、マテウス受難曲 BWV 244、タイトルブラット・デ・オートグラフェン

日付 1736年頃

ソース IMSL

著者 ヨハン・セバスチャン・バッハ (1685–1750) ウィキデータ:Q1339 s:ja:著者:ヨハン・セバスティアン・バッハ ヨハン・セバスチャン・バッハ

許可

(このファイルの再利用)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:BWV_244_Titelblatt.svg


マタイ受難曲
著者 ヨハン・セバスチャン・バッハ (1685–1750)
ウィキデータ:Q1339 s:ja:
著者:ヨハン・セバスティアン・バッハ ヨハン・セバスチャン・バッハ
許可 (このファイルの再利用)
https://commons.wikimedia.org/wiki/
File:BWV_244_Titelblatt.svg

【画像の説明2】

一般的に 1736 年に書かれたとされる

「マタイ受難曲」BWV 244 の改訂版の清書。バッハは 1750 年に亡くなりました。

ソース http://www.npj.com/homepage/teritowe/jsbhand.html

著者  ヨハン・セバスチャン・バッハ (1685–1750)  

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jsbwv244.jpg

一般的に 1736 年に書かれたとされる
「マタイ受難曲」BWV 244 の改訂版の清書
著者  ヨハン・セバスチャン・バッハ (1685–1750)  
https://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Jsbwv244.jpg


〔YouTube〕

St Matthew Passion (German: Matthäuspassion) BWV 244 - van Veldhoven

Netherlands Bach Society channel

https://youtu.be/ZwVW1ttVhuQ?feature=shared



Kampen Boys Choir

Jos van Veldhoven, conductor


Christian Friedrich Henrici (January 14, 1700 – May 10, 1764), writing under the pen name Picander, was a German poet and librettist for many of the cantatas which Johann Sebastian Bach composed in Leipzig.


マタイ受難曲(ドイツ語:Matthäuspassion)BWV 244は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが1727年に独唱、二重合唱、二重管弦楽のために作曲した宗教オラトリオで、ピカンデルが台本を書いた。マタイによる福音書(ルター版)の第26章と第27章を音楽にしており、コラールやアリアが散りばめられている。


*この後に「イエス・キリストの受難」と記されていたので、「ピカンデルが台本を書いたマタイによる福音書(ルター版)の第26章と第27章」が理解できていないとこの音楽は理解できないと思いました。

とても静かで、深みのある曲でした。

⭐️⭐️⭐️✩✩ (浅田美鈴)


J・S・バッハ 作品表 [2]

は、9-4で記載したいと思います。


〔参考WEBサイト〕

Johann Sebastian Bach

https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Sebastian_Bach

これは 16 世紀から現在までのオラトリオの年代順リストです。

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_oratorios

教会カンタータ一覧表(付世俗カンタータ)

http://www.kantate.info/bachcantata.htm

Leipzig

https://en.wikipedia.org/wiki/Leipzig

トーマスカントル(聖トーマスのカントル)は、ライプツィヒで創設され、現在では国際的に知られる少年合唱団であるトーマス合唱団の音楽監督の通称である。

https://en.wikipedia.org/wiki/Thomaskantor

Kantate

https://de.wikipedia.org/wiki/Kantate


〔参考文献〕

[1]ヤマハ音楽振興会 編著『ヤマハピアノ教室 ピアノスタディ 7』ヤマハ音楽振興会, 1996, 34頁

[2]樋口隆一『バッハ➖️カラー版作曲家の生涯➖️』新潮社, 1987



[楽譜画像]


ヤマハピアノ教室

ピアノスタディ 7


著者 ヤマハ音楽振興会 編著

出版者 ヤマハ音楽振興会

出版年 1996.12.10 (初版)

大きさ、ページ 31cm, 71p

NDC -

https://www.instagram.com/p/C6lWHZSSRUH/?igsh=MWlhcHpwY2IwZ2U2bw==


(浅田ピアノ教室 浅田美鈴)

https://www.youtube.com/@ASADAMisuzu