🎹 作曲家のはなし 3 シューベルト Y.P ピアノスタディ7 P37〔2-6. シューベルト 1797-1828 [Austria;Wien] 30歳 ベートーヴェン訪問と歌曲集《冬の旅》D.911 〕
『ヤマハピアノ教室 ピアノスタディ 7』37頁では、10行にわたってシューベルトについての概要が記載されています。
1-2行目: シューベルトの作品の概要
3行目: 8 歳の頃の音楽的教育環境について
3行目-8行目: 11歳から16歳頃まで
8行目-20行目: 18歳の頃のシューベルトの作品について [1]
[幼少期と教育]
フランツ・ペーター・シューベルトは、1797年1月31日、オーストリア大公国ウィーンのヒンメルプフォルトグルント(現在はアルザーグルントの一部)に生まれ、翌日カトリック教会で洗礼を受けた。彼は、フランツ・テオドール・フローリアン・シューベルト(1763年 - 1830年)とマリア・エリザベート・カタリーナ・フィーツ(1756年 - 1812年)の12番目の子供であった。シューベルトの直系の先祖は、もともとオーストリア・シレジアのツックマンテル州から来た。彼の父はモラヴィアの農民の息子で、よく知られた教区の教師で、リヒテンタール(ウィーン第9区)の学校には多くの生徒が通っていた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Franz_Schubert
🔹YAMAHAのピアノスタディ7 37頁は18歳で終わりました。
◻️シューベルト小伝記◻️[6]+[1][2][3][4][5]
1827 (30) シューベルト、病床のベートーヴェンを見舞う n1 | 歌曲集《冬の旅》n2 を作曲 [6]
【画像の説明】
SCHUBERT Winterreise D. 911
シューベルト
歌曲集「冬の旅」D. 911
企画・制作 / 株式会社 エフ・アイ・シー
[東京赤坂]
CD 表面 日付 2025年4月30日(水) 著者 浅田ピアノ教室 浅田美鈴 |
CD 表面 日付 2025年4月30日(水) 著者 浅田ピアノ教室 浅田美鈴 |
〔詳細はCD💿ブログまで〕
https://asadamisuzucddvdcollection.blogspot.com/2025/04/schubert-1797-1828-d911-wintereise-d911.html
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n1.
〔ベートーヴェンを訪ねたシューベルト: クラシカル・ドキュメント - 楽聖につづくもの〕
津守健二 著
以下は昭和40年代の津守健二氏の
なんとも味のある原文を
ChatGTP君に現代アメリカふうに言い換えてもらった文です。
〔前略〕
シューベルトが案内された部屋は、見るも無残な散らかりようだった。衣類は床に投げ捨てられ、脚の折れた椅子が倒れたまま、食べ残しがついた皿も片付けられずに放置されていた。
これまで憧れと畏怖の念から、“巨人”を遠くから見つめることしかできなかったシューベルトは、人生で一度きりの覚悟をもって、この部屋へと足を踏み入れた。けれどもその勇気は、瞬く間にしぼんでいくのを彼自身が感じていた。
そこへ、着崩したガウン姿の“巨人”が現れ、「私は耳が聞こえません。返答はこのノートに書いてください」と告げた。シューベルトは動揺のあまり、返事を書くための鉛筆さえ持てなくなってしまった。
震える手でシューベルトが差し出した変奏曲の楽譜を、“巨人”ベートーヴェンは黙って読み込んでいた。若き作曲家を傷つけまいと、慎重に言葉を選びながら、静かに語りかけた。
「こことここは、和声に少し誤りがあるようですね。ただし、この曲の本質を損なうほどのものではありません……」
その思いやりあるひと言は、シューベルトにとって雷鳴のように強く響いた。心を乱された彼は、衝動的にその場を飛び出し、気がついたときには、すでに通りの上に立ち尽くしていた。
〔以下割愛〕
*津守健二氏のプロフィールは, 4月30, 2025時点でGoogle検索では見つけられませんでしたが、
ウィーンの音楽家に関する著書を複数出版しておられるのがわかりました。著者であったり訳者であったりされてます。
下記アドレスは国立国会図書館の
「津守健二」の 検索結果です。
n2.
Winterreise op. 89, D 911
https://de.wikipedia.org/wiki/Winterreise
Winterreise (German pronunciation: [ˈvɪntɐˌʁaɪzə], Winter Journey)
https://en.wikipedia.org/wiki/Winterreise
・600を超える歌曲の中で、2大連作歌曲集《美しき水車小屋の娘》Op.25, 《冬の旅》Op. 89, 歌曲集《白鳥の歌》Op. 129が優れている。〔後、通作形式, 変化有節形式の解説は割愛します。〕[2]
・三大歌曲集とよばれる《美しき水車小屋の娘》D. 795 (1823作曲)《冬の旅》D. 911 (1827年作曲) (詩はミュラー)《白鳥の歌》D. 957 (1828年作曲) (詩はハイネ)はシューベルトの代表作である。[3]
・シューベルトは生涯にわたって600曲以上の歌曲を作曲しており、その中には3つの主要な歌曲集が含まれています。これらはいずれも円熟した作風を示しています。特に、晩年の1827年に完成された《冬の旅》(作品89, D 911)は、深い感動を呼び起こす作品です。この歌曲集は、詩人であるヴィルヘルム・ミュラー(Wilhelm Müllerin; 1794 - 1827)の24編の詩に曲をつけたもので、冬の旅を続ける失恋した若者の心の動きを繊細かつ鮮やかに描いています。[4]
*原文を元にChatGTP君に現代ふうに言い換えてもらってます。
一部浅田美鈴が詳細情報を挿入しています。
・冬の旅 作品 89 (1827年 作曲)
シューベルトは 名声が高まっても経済的にはとても苦しく、健康面でも優れない日々が続いた30歳のシューベルトの暗い日々の心理を反映して書かれたものである。詩人: ヴィルヘルム・ミュラー(Wilhelm Müllerin; 1794 - 1827)の詩による24編の連作で、第5曲目は有名な《菩提樹》である。
〈辻 壮一〉氏の執筆を元に浅田美鈴が著作権上の問題から言い換え・挿入文を作成しております。
(2025/04/30) [5]
〔YouTube〕
Schubert: Winterreise, D. 911: No. 11, Frühlingstraum · Dietrich Fischer-Dieskau · Alfred Brendel
Schubert: Winterreise
Composer: Franz Schubert
Lyricist: Wilhelm Müller
https://youtu.be/oUNy1AC3nF4?feature=shared
4月の終わりですので、春に因んだ歌曲を選曲しました。日本語訳タイトルは『春の夢』です。
とても穏やかなまるでお花畑を散歩しているようなところから
Schunell(速い).から心の動揺が表現されたような曲でした。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ (浅田美鈴)
〔参考WEBサイト〕
*ウィーンを代表する教会です。
Rektorat St. Karl Borromäus
シュテファン大聖堂
https://www.stephanskirche.at/
ベートーヴェン博物館 https://g.co/kgs/hXFnMDw
https://www.wienmuseum.at/beethoven_museum
*〔参考〕
Otto Erich Deutsch
オットー・エーリヒ・ドイチュ(1883年9月5日 - 1967年11月23日)はオーストリアの 音楽学者である。彼はフランツ・シューベルトの作品集を初めて網羅的に編纂したことで知られる。この目録は1951年に英語で初版が出版され、1978年にはドイツ語版の改訂版が出版された。シューベルトの作品 を識別するために用いられるD番号は、この目録に由来する。
https://en.wikipedia.org/wiki/Otto_Erich_Deutsch
〔参考文献〕
[1]ヤマハ音楽振興会 編著『ヤマハピアノ教室 ピアノスタディ 7』ヤマハ音楽振興会, 1996, 37頁
[2]菊本哲也『新しい音楽通論』全音楽譜出版社, 1975, P427, P428
[3]渡辺和彦監修『検索キーワード付き クラシック作曲家事典』学習研究社, 2007, P103, P104
[4]門馬直美『西洋音楽史概説』春秋社, 1976, P179
[5]昭和出版研究所 編 (辻 壮一 著)『日本百科大事典 7』小学館, 1963, 245頁
[6]世界名曲全集 1『運命/未完成交響曲: かく扉をたたく・・・』小学館, 16頁
[楽譜画像]
ヤマハピアノ教室
ピアノスタディ 7
著者 ヤマハ音楽振興会 編著
出版者 ヤマハ音楽振興会
出版年 1996.12.10 (初版)
大きさ、ページ 31cm, 71p
NDC -
https://www.instagram.com/p/C6lWHZSSRUH/?igsh=MWlhcHpwY2IwZ2U2bw==
(浅田ピアノ教室 浅田美鈴)
https://www.youtube.com/@ASADAMisuzu